デイヴィッド・ミッチェル

David Mitchell「ゴーストウィリトン」と 「ナンバー9ドリーム」、両作品 は世界中の批評家や読者に強く受け入れられており、作者 が数年住んでいる広島で書かれたものです。

ゲットヒロシマはイギリス帰国直前のデイヴィッド・ミッチェルをつかまえました。

 

数カ月前、イギリスの新聞は「ゴーストウィリトン」と 「ナンバー9ドリーム」の作者ディビット ミッチェルは東 京に住んでいると伝えました。このような混乱は珍しいこ とではありません。これはパリやロンドンがフランスやイ ギリスに取って替わって使われるように、東京が日本を代 表する都市だからでしょう。実のところ、広島に住んで7年 ですよね。何か広島との関わりをお話いただけませんか。 広島とはあなたにとって何ですか。

広島に住んで8年になります。これほど長く住んだ所は他に ありません。

私達の心の中にある都市の逸話や印象はいろいろな場所で 起こった大きな事件や細かなことにあります。Aさんと話し た喫茶店であるとか、ある日私の雨傘が風に吹かれて裏返し になったときBさんとあの橋を渡ったとか、Cさんがなんとか という店の出入口で私に話し掛けてきたとか。思い出の場所 が多いほど、その都市が身近に感じられるものです。

東京や他の場所を含めて最初の2つの小説の舞台になってい ますが、広島についてお書きになるつもりはありますか。

「ナンバー9ドリーム」の東京では広島の思い出の場 面が随所にあり、原宿の中に(広島の)リーガロイ ヤルホテル が現われたりしています。(また現在執筆中の小説では ニューヨークにピ ンカートンズスークの思い出がカメオに 彫られたような平面で立体的なイメージとして出てきます。 (これらの仔細な記述は広島に住む外人のためです。)他の 都市を知るまでは広島は私の小説の中の(アジアの)都市を 作り上げる原型であると思います。原爆について書くこと だけは用心していますというのは、これまでに語り尽くさ れていますし、私には書く権利はないとも思えるからです。

三島由紀夫は日本語を書くように話す人が周りに必要だと 言いました。ニューヨーク滞在中の彼は全く書くことが出来 ずにいましたが、日本に住むことは執筆の助けになりました か、それとも妨げになりましたか。

私は三島のその話については何も知りませんが、私について は日本に住みはじめてから物書きになったので、助けになっ たか妨げになったか比べることはできません。排他的な社会 の中で外国人であることは時間または言葉による偶然の出会いを少なくさせています。 そしてたぶん人間関係や社会との関係はもっとレントゲンで写したように見ることが できると思います。なぜなら表面的な儀礼に気を散らされることがないからです。 (それは表面上の儀礼がわからないからであり、または同じ文化でないので対処の仕 方が違っているからです。)おそらく私達は人々の多分にプライベートな部分に入り 込むことを見過ごしてもらえる許された人間であり、外人からのダイレクトな質問に は時としてダイレクトな答えを得ることができます。日本人からの同様の難しい質問 には「難しいですね⋯」との答えが返ってくるでしょう。 こういった出来事の全てが物書きにとってネタになっている のです。

広島で好きな所はどこですか。

いい質問ですね。 縮景園の池のそばにある水辺に突き出した 建物です。よく晴れた日の午後3時ごろは日射しが鯉の泳ぐ 波紋に反射したり、わらぶき屋根の中を踊ったりするのが見 えます。なんて素晴らしい光景なんだ。 サロンシネマの宇宙船の船長が座るような椅子、映画の始る 前の宣伝の間、友達とハーゲンダッツのカップを片手にした ね。 平和公園の国際会議場の中にある図書館、そこで雑誌を眺め たり、パルコ新館のタワーレコード、妻に「5分で戻るから」 といって立ち寄ったり、天満屋の9階にある日本料理店、 あそこでうなぎ定食が出てきた時。 比治山の近くの川に架かっている人専用の奇妙でとても古 い橋や、特に広島駅から上に登ると 現代美術館に着く地点 までの川の流れ。 Plid’sゲームセンターの近くで外に薄汚れた白い提灯のあ る三島の生きた時代からずっとかわっていなにような手打ち うどん屋。あそこの鍋焼うどんには涙が出てくるよ。 丸善の雑誌売り場でQ マガジンのインタビューを立ち読みし た時。 ここらあたりで止めておきますね。

もうすぐ広島を去ってイギリスに帰られますが、特になくな って寂しく思うものは何ですか。

前の質問で答えた場所の全てですね!お天気によって山が 違って見えること、背が高くいられたこと。 マーク、外人の先生たちはここでブルジョア-ボヘミアンな ライフスタイルを楽しんでいるよね。(ただ何かを失ったから といって必ずしも取り戻す方を選ぶとは言えないよね) 夏の朝、半ズボンとTシャツで自転車で出かけても一日中暑 い(暑すぎる)ことを知っていること。安全なこと、街が 綺麗なこと(建物の外観のことでなく)、いちご大福やさ まざまな美味しい料理。

イギリスに帰ることについて、なんらかのカルチャーショ ックを受けるのではと思われますか。

ここに住む外人の先生たちは自分自身で違う文化の中を生きる力を持っていると思い ませんか。私の言いたいのは私たちは(幸いにも)英語を話すテレビなし(衛生放送 があれば別ですが)に生きていること、まる一日全く英語を話す人に出会わず毎日を 過ごすこと、(何か意味のある)英語のサインやメニューやマニュアルやCMを見ずに 過ごすこと、他の現地の人と相互に分ちあえる身の回りの物がないこと。この経験が 将来どこへ行っても「我が家」だと思えることに役立てばと思っています。もちろ ん8年間分の日常の文化的なものが私の元にやってくるでしょう(ブリトニ−  誰?)が、疎外された気持ちになるのではと心配するよりもむしろこれらの事を学ぶ のを楽しみにしています。 去年、韓国でJETの先生と話す機会があって「7年間も日本にいるの。それは 戻るのに苦労するよ」と言われました。そのとき私は機知に欠けた答えしかできませ んでした「もし私がそんなに元から溶け込んでいるなら、はじめからどこかよそへ行っ てみようとは思わなかったはずだし、だいいちそんなに融和することが大切なわけ?」 (ついに胸のうちを言ってすっきりした)

私たちは本をよくむさぼるように読みますね。日本に来る 前、私はかなりの日本の小説を読んでましたし、今でも日本 のフィクションを読み続けています。大江健三郎、 遠藤周作、三島由紀夫、安部公房、山田詠美が好きですが、 どの作家を読者にお勧めになりますか。

山田詠美は知らないのですが、あなたの揚げたリストの他の 作家は高く評価しています。特に三島と遠藤。もし私が宇宙 に日本人の作品を持っていくならば谷崎潤一郎の 「細雪」、 村上春樹の 「ねじまき鳥クロニクル」ですね。紹介は必要無 いでしょう。それと「ノルウェーの森」は長く心に残ってい る好きな作品です。特に寂しい時に読めば、なお心に残るで しょう。宮沢賢治の物語は国際的なレベルだと思います。 ここで韓国人の作家について宣伝させてもらえるなら、Yi Munyolの 「Our Twisted Hero」 はたったの100ページ足ら ずですが、完璧で催眠術にかけられたような、意図も簡単に 書かれたような、意味深い100ページなのです。

日本についての見方を形づけた作品は何ですか。

John Dowerの 「Embracing Defeat」です。この間の私たち の会話を再び考えてみたいと思いますが、戦後のはじめの 10〜12年の近代日本は18世紀の西欧のようだったが、 この青写真の時代は避けられないこととしてやって来たん だったよね。先日、丸善で新しいAlex Kerrの本 「犬と鬼-知られざる日本の肖像-」を立ち読みしたとき、どのようにして 不動の施設(政府や経済界、財閥)は全ての才能を集め、 埋もれさせ、そして日本中を腐らせたかといったことが書か れていて、情報豊かで暗い内容の本のようだったよ。今の 風邪が治って健康になったらまた読もうと思っているけど、 読んだら怒りと悲しみを感じることだろう。

日本は西欧にどのように映っているかを見るのが好きですが、 あなたの本はもう日本語に訳されていますか。

いいえ、まだです。もし「ナンバー9ドリーム」がアメリカ でうまくいけば、大平洋のこちら側でも本のシェアプライス が上がって編集者に勇気を出すように思わせるかも知れませ ん。東京の決断は早くはないので待つしかありませんね。

日本の読者がイギリス人によって書かれたこの本の中の日本 人についてどう見ると思いますか。

難しいですね。今後の反応を待ちましょう。 「ナンバー9ドリーム」はラフカディオ ハーンではありま せん。彼は民話を詳しく紹介した人ですが、日本については 多くを語っていません。おそらく日本の読者が私の見た日本 人像を好きであれば、私は我々日本人の洞察力のある外国人 調査員として賞賛されるでしょう。もし、好きでなかった場 合おせっかいな外国人としてこきおろされるでしょう。

「ナンバー9ドリーム」がイギリスに住んでいる日本人に よって書かれたとしたらイギリス人はどう答えるでしょう。 その人によると思います。しかし、はじめに膝反射のように 「オーケー、どうして私たちの考えがそんなに分かるの?」 と言うでしょう。多くの国民は外国人には分からないと思い たがるものです。

最後に今取りかかっている作品について少し話していただけませんか。

私は執筆中の作品については少しカメラシャイなので公表し たくないのです。なぜならただ単にすぐに考えがいろいろに 変化するのでね。長い小説で話の構成がロシアンドールのよ うになっていて、話の中に話があってまたその中に話があっ てといった具合で、それらの話の時代も違います。

あまりお話してもらえませんでしたね。本が出版されるまで 待つといたしましょう。どうも質問に答えて頂きありがと うございました。また広島に帰って来られることを楽しみ にしています。

どういたしまして。

 

Paul Walsh

Paul arrived in Hiroshima "for a few months" back in 1996. He is the co-founder of GetHiroshima.com and loves running in the mountains.

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